保健師を離れた私が発信する理由

保健師

こんにちは、初投稿となります、1児の父である町の保健師です。
今回は、なぜ私が今、発信をしようと思ったかを説明したいと思います。

①発達障害と向き合う

私は、約8年間、都道府県の保健師を経験後、約2年前に偶然始めたプログラミングをきっかけに、

現在はIT企業で働いています。

今でこそ、自分のやりたい仕事、大切な家族に恵まれて生活できていますが、

ここに至るまでは本当に苦しかったです。

②苦しかったのは、発達障害の存在?

今振り返ると、苦しかった原因は、発達障害の存在を自分自身が知らなかったこと。

私は、ADHD(注意欠如・多動症)にあたります。

投薬するレベルではないですが、

衝動性や不注意などで多くの失敗を経験し、その度に辛い思い、自信を持てなくなっていきました。

学生時代は自分が発達障害だと気づかず、

「なんで自分はこんなに人と違うんだろう」と漠然と悩んでいました。

③保健師になって気づく

その後、保健師になり、偶然、発達障害児を支援する担当になって初めて気づきました。

就学前のお子さんの診断のサポートや療育の紹介等に従事しましたが、

来所されるお子さん

それからは職場では、支援される側、患者様には支援する側と両面の経験をしました。

当初は支援していただくことに感謝の気持ちでいっぱいでした。

ただ、仕事でミスが続き、日に日に支援していただく視線が強くなっていく一方で、

自身が発達障害なんだと受容していく過程には、多くの葛藤がありました。

「何度もこんな自分には価値がないのではないか」、「もう頑張れない」と泣いたこともありました。
異動した職場で、出会ったプログラミング、「絶対に変わりたい」自分の長所は何か、長所を生かすにはどうしたらいいかと、

行き帰りの電車の中で、必死に考え毎日少しずつ行動した結果、今では自分の好きなことを仕事にし、人生を前向きに考えられるようになりました。

そして、何より、自分の特性を受容し、特性は長所だと感じることができました。

保健師を離れた私が、なぜ今発信するか。

ではなぜ、そんな私が今情報発信をするか。

答えは、「自分と同じように困っている人が、もしいたら助けたい」という気持ち。

核家族化が進み希薄化するのに、情報過多なアンバランスな時代。
行政で支援に携わってみていた世界が果たして本当にリアルなのか?
過去の自分のように悩んでいる人は、もっといないだろうか?
自分と同じように育児負担を抱えている人はいないだろうか?
育児不安を抱えている親は適切にフォローされているかな?
発達障害児を育てている親は、適切にフォローされてるかな?
など多くの疑問が出てきました。
ふとSNSをみると、困っている人がたくさんいる・・
行政では見えなかった世界がそこにはありました。
なんとか力になりたい・・
今は保健師をしていないけれど、そんな自分でもどうしたらサポートができるだろうか。
そう考えた時、今自分にできることは、正しい情報を適切に発信すること。
発達障害や子育ての不安は、なかなか思いを吐ける場も少なく、他者に相談しても共感を得にくい部分もあり、どうしても孤立しやすい。ただ、過去の支援を通じて、正しい情報、ほんの少し見方を変える助言によって、少しずつ前向きに考えられる過程を伴走した経験が幾度もあります。
だからこそ、多くの患者様から学ばさせていただいたことを、今度は、自分がしっかりと還元していきたいと考えるようになりました。

最後に

保健師は、町にふらっといて、何かあったら気軽に相談できる「町の保健師さん」のような存在だと思います。
デジタル社会だからこそ、オンライン・オフラインの境目を超えた中に保健師の存在は必要だと信じています。
これから、発信していく中で保健師のことを少しでも知っていただけたら嬉しいです。
これからどうぞ、よろしくお願いします。

コメント

PAGE TOP